隠居の独り言(89)

昨日の続き、我が家では三人の孫が小学校へ通っている。学校の通信簿を
見ても抽象的な表現で勉強ができているのかできていないのか分からない。
文部科学省が推進してきた「ゆとり教育」の結果は完全に破綻して教育の
二極分化が進んだといえる。やっとそれに気がついて来年の四月下旬に
国学力テストが行われるが、それもなんと43年ぶりの復活だそうだ。
「できる子」と「できない子」の格差は子供が塾や家庭教師などで学力を
補っているかいないかの差であって「経済格差」を理由にあげているのは
役人や先生の怠慢を棚に上げての論議で話にならない。学校教育の充実が
しっかりしていればこんなに格差は広がらなかったに違いない。内閣府
調査でも保護者の8割が学校より塾や予備校の先生が優秀と思っている。
公立の小中高学校の学力だけで公立の大学に入れないシステムは考えても
おかしいと思わないのだろうか。親族に小学校の先生がいるが勤務評定も
いい加減で、きちんと宿題を出し放課後の補習授業もいとわない意欲的な
先生も、無気力でだらしない先生も同じ給与のシステムはいかがなものか。
しかも地方公務員よりも高い給与を保証されていると聞くと腹立たしい。
民間のいわゆる私立の学校では少子化の影響もあって学生の確保に懸命で
学校の浮沈にも関わる事なので先生方も努力して能力を競い合っている。
教師の採用方法、免許の更新、勤務評定、給与体制などの緊急の対策は
待ったなしだが、小泉首相の就任当初の「米百表」の教育の理念はどこへ
行ってしまったのだろう。学力の二極分化の原因は競争原理を無視した
文部科学省教育委員会の古い体質にあるのはあきらかだ。
一度分解してやり直してみればどうだろう。