隠居の独り言(112)

世の中が大きく変わったことで、さまざまな情緒も失われた気がする。
電車に乗れば若者のほとんどが携帯を取り出しメールの手さばきよく
友人か恋人へ自分の意思を伝達している。やっかみじゃないが若者が
恋人へ今の気持ちをそのままストレートに伝えられる幸せを考えた事は
あるのだろうか。半世紀も前のことだが私の青春時代は好きな人への
思慕の伝達方法は「付け文」しかなかった。しかも郵便物で出したなら
誰が最初に見るのか分からないし本人に渡る確証もあてにならなかった。
文章だって他人に見られたら恥ずかしくて穴がいくつあっても足りない。
互いの切ない思いは恋文の交換の密かな場所を探すことから始まった。
そのあたりの心情は今思い出しても懐かしいが世の中が不便だったのが
返って青春の思い出を、より深いものにしてくれたことが今は嬉しい。
やがて電話の時代がやってきた。けれど電話を掛けても誰が出るのか
分からないし親が出れば「どちらさまですか?なんの御用ですか?」の
不機嫌そうな声で応対され、最悪なのは本人がいても「いませんよ」で
切られてしまう。当時はまだダイヤル式なのでダイヤルを回しながら
本人が出ればいいなぁ、留守だったら困る、父親だったらどうしよう、
嫌な予感がするときは二三回、回して受話器を置いてしまったことも・・
そんな苦労は今の人には分かるまい。青春のありかたも随分と変わった。