隠居の独り言(113)

日本が封建時代だった頃は「士農工商」の身分が歴然とあって「士」が
トップで「商」が最下位だった。それはお金や土地等を私物化するのが
卑しいとされ、たとえ大名でも城や屋敷なども私的財産ではなかったし
「武士道」に例えられる士のプライドは「財」より「名」を重んじた。
反対に豪商の鴻池も奈良屋も紀伊国屋もどれほどお金を積んでも名字と
帯刀は許されなかった。その日本人的な美学が崩れだしたのは終戦後の
ことで財閥解体のあと小作農の殆どが自作農になって「地主」が氾濫し
昭和2-30年代頃のヤミ成金の出現で拝金主義が横行して現在に至って
いる。金持ちが尊敬される世の中はほんとに幸せな時代なのだろうか。
金儲けが人生の目標として血眼になっている人は多いが大切なものを
忘れているような気がしてならない。かつてライブドアを立ち上げた
堀江貴文は「金で買えないものはない」と言ってヒンシュクを買ったが
愛情、教養、経験、信用などは大切な人間の年輪のようで一朝一夕で
手に入るものでなく彼の発言や姿格好は薄っぺらなものに見えてくる。
ニッポン放送株のインサイダー取引にしても村上ファンドのシナリオで
動いて墓穴を掘ったが、金儲けにかけては華僑の血を引く村上世彰には
敵わず、ひがみじゃないが「金」の卑しさを見せられる今日この頃だ。
捕まっても堀江はあくまで否認、村上はあっさり容認、ご両人の考えの
違いはなんだろう。こちらこそ考えさせられた。