隠居の独り言(142)

昭和天皇A級戦犯靖国合祀に関して発言されたメモが見つかったという。
その中で松岡洋右白鳥敏夫の二人が名指しされていたようだが昭和天皇
昭和15年9月に締結された日独伊三国同盟が相当にお嫌だったのだろう。
皇太子時代にイギリスやアメリカを訪問されて両国に親近感を持たれていた
だけに、その当時から独伊との同盟に危惧を抱かれてこれを強固に推進した
松岡と白鳥に不信感を持たれた事実は多くの史料で明らかにされている。
戦前の憲法上では天皇に陸海軍の統帥権があり御前会議で強く反対されれば
三国同盟は結ばれなかったに違いない。松岡は日本を国際連盟から脱退した
経歴もあり今にして思えばあの戦争への大きな分岐点に昭和天皇のお考えは
正しかったと言えるが大事な日本の舵取りを愚臣たちに任せてしまったのは
かえすがえすも残念に思う。けれど自らの政治的なご発言は慎まれ昭和史の
渦中に入らなかったのは良かったのかどうかは後の歴史家が判断するだろう。
ところで案の定というか中国や韓国、それにA級戦犯分祀論者やマスコミが
メモをたてに首相の靖国神社参拝反対を叫ぶがそれではその連中が普段から
昭和天皇をそれほど敬愛していたのだろうか。勝手な時だけ天皇を利用した
シタリ顔は情けなくなる。メモはメモだけで公式の文書でも何ものでもない。
そもそもこの時期に発表されて、人の目に触れることが昭和天皇のお心に
叶うのなのだろうか。何か取引めいた裏があるような気がしてならない。
もし公式文書だったら天皇も連合国に戦犯を問われたことだろう。あの頃の
世界中は愚が愚を重ねて戦争へと突き進み、日本は奈落の底に落ちていった。
けれど私たちが祖父や父たちの仕出かした事を責める資格があるのだろうか。
当時に生きた一人として昭和天皇のご苦労を思う。