隠居の独り言(146)

7月も今日で終わりだが北の高気圧に覆われて爽やかでとても気分がいい。
明日から8月、あの大戦の懺悔話しが報道でこれでもかこれでもかと続く。
もういい加減にしてもらいたい。半世紀以上も前の事をいつまでも細かく
ほじくり出して謝り足りないと責める近隣諸国にもう耳を貸すこともない。
頭は磨り減るほど下げたし、賠償金は払い過ぎるほど取られた。そもそも
喧嘩なんて両成敗、勝ち負けは時の運で良いも悪いも互いに原因があって
人類史上始まってからの権力の欲望と欲望とのぶつかりあいに過ぎない。
「勝てば官軍」との言葉通り負けたから全責任を負わされるはめになった。
上京して小僧になった頃、先輩や職人は戦争帰りの人が多く外地での戦争の
体験話しを聞いたがそれらは実に面白いものばかりだった。昼休みや3時の
おやつの時間などお茶を飲みながらの話題は楽しみだった。もちろん彼らも
戦争体験なんてやりたくてやったものじゃなく恐ろしい事も経験している。
戦争は東南アジアの広い地域で行われたから、それぞれの行った外地の事を
聞くのがとてもタメになったし居ながらにして地理の勉強もさせてもらった。
あの頃の地名は中国は満州支那など、ベトナムラオスは仏領インドシナ
マレーシアはマレー半島ミャンマービルマインドネシアは蘭領ジャワ
シンガポール昭南島でその地域によって戦況や暮らしぶりが違っていたが
今の人が思っているような戦争の惨めで暗いイメージを話す人はいなかった。
彼らは一兵卒の無思想で、ありのままの実体験を話す言葉もたんたんとして
戦後の平和な時代の仕事場で聞くのはついつい興味深く聞き入ってしまう。
「戦争は勝たなくてはだめ!武装解除で鉄砲を取り上げられた時、涙が出たよ」
戦争を体験した一人の職人が話した言葉は今も忘れない。