隠居の独り言(151)

高年齢の人なら8月に入れば必ず思い出す苦しく惨めだった戦後の物語も
かたや連合軍側から見れば宿敵日本を破った気分は最高だったに違いなく
戦友とともに勝利の美酒に酔いなかには故国の家族に手紙を書いたりして
幸福感は最高潮に達した事だろう。勝つと負けるでは天国と地獄の差だ。
1945年8/30日に連合軍最高司令長官ダグラス・マッカーサーは厚木の
飛行場に到着し飛行機のタラップを降りる時の写真は何とも格好良かった。
軍帽・サングラス・コーンパイプにシャツスタイルは敵ながらあっぱれだ。
後日にマッカーサーがこう語った「私は厚木で日本に来たのは三回目だ、
最初は子供のとき日露戦争アメリカ観戦武官だった父と、二回目は妻と
新婚旅行に汽船で来て横浜のホテルニューグランドに泊まった。紳士的で
素晴らしい日本が何故このような戦争を起こしたのか今も分からない」と。
私が上京した頃は占領軍の総司令部が日比谷の第一生命ビルに設置されて
玄関にはいつも格好いいMPが二人立っていた。兵隊の見た目もそうだが
日本軍の姿格好と較べてみても勝てるはず無い戦争は無謀そのものだった。
やがて格好いい進駐軍の払い下げのシャツとパンツが飛ぶように売れたし
アメリカの音楽も映画も、餓えて荒んだ日本人の気持ちには新鮮に映って
街はすっかりアメリカナイズされていった。ビング・クロスビーの甘い
歌に痺れたし、イングリット・バーグマンの美しさには心がときめいた。
戦争のみならず身も心も全てが負けて、昨日までの鬼畜米英の軍国少年
情けないほどアメリカに染まって、そして憧れた。