隠居の独り言(188)

安倍新内閣の文部科学相伊吹文明は小学校の英語必修化には反対をして
「義務教育とは国民として最低限の能力と義務を教えるのが必修でそれが
果たせていないのに別のことをする必要はない」と語ったが全く賛成だ。
若者の言葉の乱れはひどいが英語の前に国語をきちんと教えるべきだろう。
内閣の顔ぶれを見るとどの方も有名大学をご卒業だが一度は文部科学省
定めた公立学校の実態をご覧になるといい。現在の公立学校の勉強だけで
皆様方の母校の大学に入学出来るとお思いだろうか。私の孫は3人が公立の
小学校へ通っているが、私立と違って土曜日は休みで、勉強時間も少なくて
宿題もほとんど無いに等しく、そのうえイジメの問題や学級崩壊があっても
先生たちはおろおろするだけで解決策も見出せない。私立学校なら即座に
解決に向けて努力するだろう。なぜならそのような評判が立てば学校の存亡に
拘わる重要事項だからだ。文部科学省が進めた「ゆとり教育」とはいったい
誰のためのゆとりなのだろうと首をかしげる。戦前はつめこみ主義だった。
例えば教育勅語百人一首など意味など分からず暗唱させられたが後になって
日本語の深さが身に沁みてくる。孫たちは塾へ通わせているが国語の読み書き
はじめ算数、社会など公立学校との差には愕然とくる。経済的に余裕のある
家では私立に通わせる傾向になり教育の二極化がますます顕著になっていく。
教育現場での何よりの急務は学校間の競争意識と教師の質の低下の問題で
駄目な私立学校は経営していけないと同様に駄目な公立学校は廃校すべきだ。
教師とは立派な聖職でありサラリーマン的な気持ちでは資格を問われる。
幕末の松下村塾は短期間しか存在しなかったけれど吉田松陰の門下生たちは
明治維新に関わった多くの偉人を輩出した。古今東西を問わず恩師の態度や
言葉で人生を大きく開花させた人を聞くがそれはとても幸せなことと思う。
子供達にとって親と同様に教師を選べない。安倍内閣の教育改革に期待する。 
「挨拶も出来ない子供が英語塾」 平成川柳より