隠居の独り言(191)

毎日の暮らしの中で老いをつくづくと思うようになったのは70の坂を越えて
からだが今も仕事を続け5人の孫に囲まれ今月はまた一人が増える予定だ。
人に会えば羨ましいと言われ幸せいっぱいの好々爺に見られているがはたして
そうだろうか。小さな孫の面倒は思ったよりも苦労が多く瞬時の目も離せない。
外に遊びに連れて行けば怪我をさせないよう注意をし家の中では絵本を読み
子守唄も歌う。風呂にも入れてたまにはおしめの交換も孫の世話の一部分だ。
少し大きくなれば幼稚園、学校、塾の送り迎えや勉強の手伝いで爺は忙しい。
仕事もそれなりの忙しさでのんびり出来るのは夕食後の9時過ぎでそれから
ギターを弾いてブログを書いて一日のスケジュールを終わる事にしている。
けれど人生は十人十色、人は誰もが「ないものねだり」で友人の大部分は
定年後の奥方と二人で静かな生活をしている方が多く反面とても羨ましい。
時間は自分の思うままに好きな趣味に没頭できるのはなんて贅沢な人生と
妬ましいが友人の一人は定年後に奥方と世界中を旅をして楽しんでいるが
こちらは旅行の行き先だって目的や月日の関係で自分よりも子供や孫たちに
あわせるのが成り行きでジジババは単なるスポンサーに過ぎない。親たちは
仕事で忙しく爺婆の出番は綾取り、折り紙、トランプ、将棋と多岐にわたる。
子供の場合は将来的にこちらが面倒見てもらいたい、かすかな期待感があるが
孫の場合は可愛さ一本の無償の愛で、目の中に入れても痛くないの幸福感だ。
老後の人生は喧騒か静寂かどちらがいいかは分からない。持って生まれた運が
左右するのだろう。人生の充実とは何だろうと、ときどき考える。