隠居の独り言(216)

先週のNHK大河ドラマ功名が辻」は山内一豊上川隆也)が関が原合戦の
褒美として土佐20万石の一国一城の主になったところで「功名」の筋書きは
終わっている。千代(仲間由紀恵)の内助の功も夫の出世を助け鼓舞してきた
物語りもここで終わったといっていい。ドラマは一豊が縄目姿の恥辱にあった
石田三成中村橋之助)に陣羽織を掛けて労をねぎらい、千代に「敗れた東軍の
武将達のために泣け」と語るシーンは人情味を感じるが果たして当時の武将の
持つ感性はそうだろうか。三成は「義はこうあるべし、大名はこうあるべし」と
自分にあてはめて考え行動した事が期待は裏切られて人心を収攬出来ず敗れた。
家康(西田敏行)は「世の中の人をどうくすぐり、どう威し、どうころがすか」
純真だった三成も一豊も彼の手に操られた浄瑠璃の人形のように踊らされて勝つ。
老人の悪い趣味は関が原から大阪の陣にかけては彼の一世一代の大芝居だった。
土佐20万石という数字に踊らされて無邪気に喜ぶ一豊だが、土佐はもともと
長宗我部一族が切り開いた土地であるだけにその難国に試練を与える家康爺も
意地悪だが山内家は土佐の地元の占領軍のようで明治に至る300年もの時間も
互いに心は打ち解けなかった。幕末の英傑、坂本竜馬も地元を追われて脱藩し
やがて京都で憤死するのも遠因は山内家の土佐における圧政で日本の歴史をも
変えた一豊千代の「功名が辻」の後の筋書きは寂しいけれど光を失っていく。
人間は「功名」に向かってひたすら前進している時が花で登りつめてしまうと
魅力を失う。千代の晩年は京都で暮らすが成し遂げた満足感はいかがばかりか。
司馬遼太郎はこの作品の中で「千代は、利口さを“無邪気”で偽装していた。
利口者が、利口を顔に出すほど嫌味なものは無いという事を、この娘は小娘の
頃から知っている。だから誰からも愛された」と書かれてあるが、すべての
女性に語りかけるような思慮深い口調の文章だ。