隠居の独り言(234)

功名が辻」が終えてなにか気が抜けた感じだが、最後は千代(仲間由紀恵)が
一豊(上川隆也)と初めて出会った尾張への感傷の旅のラストシーンは感動的だ。
妻を娶らば才長けての日本女性の優しさ美しさを千代に託して描かれていたが
原作の司馬遼太郎の意中を大石静は見事に捉えてその表現力に拍手を送りたい。
私が思うに司馬遼太郎はとてもフェミニストで例えば「竜馬がゆく」の竜馬の
恋人おりょう、「燃えよ剣」の土方歳三の恋人お雪、など女性の心理の描き方は
緻密で優しく読む人の気持ちに自然に暖かく入ってくる筆致は喩えようがない。
最終回の物語は徳川が豊臣家を滅ぼす過程を描いているが家康(西田敏行)が
厭らしいまでの調略で淀の方(永作博美)を、じわじわと責めていく様子にも
上手くまとめられている。「功名が辻」を一年を通して見て現代にも言えることは
出会いの不思議と運を伴う生きるありかたを教えられた事と思う。一豊が千代と
出会いが無ければ名もない馬の骨で終わっていたし、千代も一豊に嫁がなければ
農家の嫁か下級武士の妻で生涯を終えただろう。夫婦の出会いと相性はそれぞれ
人生の幸不幸の分かれ目であることは古今東西、森羅万象、変わらない原則だ。
槍一筋の一豊は勇敢に戦って秀吉(柄本明)や家康に評価されるが賢い妻と較べ
いつも自嘲的で只一度の浮気にもビクビクしているユーモラスは好感が持てる。
一豊は運にも恵まれた。近江の戦いの時、顔に矢じりを受けたが僅か数ミリでも
違っていれば命を落としただろうし関が原も西軍に組していれば明日は無かった。
晩年に千代は一豊を冷ややかな目で見るようになるのは、ここまで出世したのは
あなたは分かっているの?と熟年女性の冷めた人生観を見るのも現代にも通じる。
種崎浜の事件から始まる山内家と土佐の住民のわだかまりは消えることはないが
封建時代の身分制度は千代といえどもきれいごとでは済まされなかった。千代の
晩年は京に庵を持ち北の政所(浅野ゆう子)と通じ合い遠い土佐に中央の政界を
知らせるあたりはやはり戦国の女で最期まで一豊の妻を貫き通したと言ってよい。
いろいろな事を教えられ、感動を貰い、楽しんだ「功名が辻」!ありがとう!!