隠居の独り言(274)

今日はバレンタインデー、女性が好きな男性に愛のメッセージとチョコレートを
贈ることが出来る聖なる記念の一日だが、昔は女性が男性に愛を打ち明けるなど
はしたないとされた。長い人間の歴史の過程では古今東西を問わず女性はいつも
男性より地位は下で所有物的な扱いを受けた時代がつい最近まで続いていた。
強い男性はハーレムのように多くの女性を所有するのは当たり前の時代もあって
十字軍の騎士は戦争に行く時は妻や妾に貞操帯を強制したのも通例の習慣だった。
昭和に入っても男性は家事なんかしなくてもよろしいと教えられたし、今だって
たまに洗濯物を干す姿を人に見られると気恥ずかしい思いをするのはその名残か。
男女が平等の権利を共有する現代でも男性優位の気風はなかなか取れないものだ。
「愛の告白」は男がするもので、女はそれを待つのが美徳と今でも思っているし
それが男性の責任でそれに応える女性の一途さが結ばれる最初の基本ではないか。
バレンタインデーにしても一年365日でたった1日だけとはまだまだ男性中心の
価値観が残っているのだろうか。でもそれでいいと思う。男性と女性の本質的な
部分ではライオンだってアザラシだって雄同士の闘争で勝ったほうが雌を奪う。
人間だって動物の一種なのだから本能的に男らしさ、女らしさがあり恋愛感情に
なるのは自然の成り行きで、あくまで男性は強く女性は優しいのが条件の一番だ。
現代では恋愛至上だが、つい最近の昭和30年代まではお見合い結婚のほうが
圧倒的に多く男が女を選んだように思えるが、でも最後の決定権は女にあった。
最近は「らしさ」も消えつつある時代で、TVなどで女っぽいしぐさで女言葉を
使う男の芸能人や、大柄な男っぽい女の芸能人がドスの利いた喋りが人気を得て
いるのは時代の流れといえ、何かまともに頷けないのは考えが古いのだろうか。
ともかくカタイ事は置いて今日は素直に女性の優しい気持ちを受け入れよう。
「ほの字茶化してギリチョコだよと 渡したあとで泣いた夜」   駄作