隠居の独り言(300)

いつのまにかこの独り言も300回になった。ブログを書き始めて3年近くだが
最初の頃はどこまで続くか不安だらけだったがどうやらここまで来られたのは
世の中の全てに感謝をしている。仕事、趣味、家族など、費やす時間は多いが
ブログ日記もいつの間にか自分の一部になっているのはとても嬉しいかぎりだ。
続けているうちに気がついたのはただ淡々と自らのパーソナル・ヒストリーを
綴っているのは自分ごときの生半可な筆力では作文としてはとても無理で、前に
自分史なる「小僧日記」を書いたが今に読み返すと拙い文には羞恥の極みだが
最近は政治・経済・家族の交流など感じた事を取り上げてブログを続けている。
文章には高度なテクニックといわゆるセンスの“芸”が必要とされるが、それは
普段の勉強や体験等を積み重ねて自らを練り上げていく以外はなさそうだ。
何年か経って今の文章を読み返したときは恥ずかしさに顔を赤らめるだろうが
至らぬ自分を笑うしかない。善良な人間のエッセーなんて人が見れば面白くも
可笑しくもないのは百も承知だが自分を戯画化するのも必要なのかもしれない。
つまり自分を外から眺めてみる、客観的に自分を見つめるのも書く条件だろう。
政治の権威や既存の有名人だって気に入らなければ牙を向ける勇気も必要だし
それで誰かに嫌われたって笑い飛ばせるおおらかさも条件の一つかもしれない。
趣味はギターの弾き語りだが文章も曲作りに似てイントロから歌の主題、サビの
部分、装飾音からエンデイングまでリズムと起承転結がきちんとつき、気持ちを
込めないと文章も演奏も乗りがない。それと毎日のエッセーには元手が必要だ。
書籍代は言うに及ばず好奇心を高めるにはいつも出歩く事がネタの材料になり
ひいては健康と頭の体操には最高の投資だと思う。書き言葉は話す言葉よりも
複雑な意味を厳選できるので面白みも充分に味わえる。ブログは簡単なようで
難しいが生涯学習のつもりで続けたい。