隠居の独り言(306)

趣味はラテンギター弾き語りだが、ラテンを好きで演奏する人の多くは
ベサメムーチョに始まりベサメムーチョに終わるという。それは釣人が
鮒釣りに始まり鮒釣りに終わる譬えに似ている。言われてみれば自分も
初めてラテンの弾き語りをしたのはベサメムーチョで歌って弾くほどに
味が出てくるので奥が深い歌なのだとつくづく思っている。有名な訳詩は
「雨が降っても風が吹いても燃えるあの口付け」だが作曲したメキシコの
女流ピアニストのC・ベラスケスの原詞は「今夜がこの世の終わりだから
キスして、もっとキスして、あなたを失ってしまうのが怖いから」とある。
恋人の腕に抱かれて死んでいく悲しい歌だがキスしての部分のみ強調され
歌になり演奏する方も聴く側もそのような捉え方をしていて、官能的な曲の
定番のようだがそれでいいのだろう。戦後に流行ったキスオブファイヤーも
トウモロコシだし、スキヤキソングも上を向いて歩こうだから面白いものだ。
外国曲の訳詩にも原語とは全然違うのもあって、コーヒー畑の労働者が唄う
ルンバは「昔アラブの偉いお坊さんが恋を忘れた あわれな男に痺れるような
香りいっぱいの琥珀色した 飲みものを教えてあげました・」とは超傑作だ。
弾き語りのひとつの楽しみにオリジナルの詞を作って歌うことあるが、例えば
ラ・マラゲーニァの原詩は「二つの眉の下に君はなんて美しい瞳があるのか・」
でも私は歌詞を変えてみた「恋の苦しみ、分かったはずなのに 想い出すのは
あなたの事ばかり・・」プロの演奏家なら問題があるが、そこはアマチュア
気軽さで気持ちの向くままに自分の思いを語れる楽しみは何事に換えられない。
10年前に娘の結婚披露宴でメキシコの名曲「時計」を作詞弾き語りで歌ったが
「嫁ぎゆく娘よ 父の目には 幼いあの頃の 姿が浮かぶよ 
 嫁ぎゆく娘よ 父の耳には 幼いあの頃の 声が聞こえる
 まぶしい娘よ 私の手元から巣立ちの時が 今やってきた
 まぶしい○子 心の中に 幼い頃の思い出 しまっておいておくれ
 しあわせになれよ!」
時の経つのは早いもので娘は現在5人の子育てに追われている。