隠居の独り言(316)

ギターを習って20年近くになるが、なかなか上達しないのは自分の才能が
欠けているのだろう。かつての飲み屋専門に回っていた流しのギター弾きが
客のどんなリクエストも受けて歌ったり弾いたりしていたのは相当な力量が
無いと出来ないことで今に思えばたいした演奏家だったと感心してしまう。
彼らは楽譜などは持っていなかったし簡単な歌詞カードだけで自ら歌ったり
客の唄の伴奏をしていた。彼らの臨機応変さはたとえばジャズの即興演奏で
誰かがピアノやギターを弾けばそれに合わせてドラムを叩く、次には誰かが
トランペットを吹き始める。指揮者もいなければ楽譜も無いジャズの真髄は
お互いの感受性と思いつきでハーモニーやリズムが生まれていく。演奏する
人達は専門的に音楽を習ったわけでもないのにジャズを楽しめるのは才能と
しかいいようがない。流しのギター弾きも同じ感覚と才能なのだろうか。
以前にラテン弾き語りでメキシコ人のチューチョ・デ・メヒコさんに教えて
もらったことがあったが歌もギターも楽譜はなしで先生の演奏を盗むように
聞き覚えるしかない。中南米アメリカ南部の人たちはそのようにして習い
自然に身体に染み付いたもので中途半端な感性の日本人にはとても敵わない。
話は違うが政治家だって国会壇上で官僚が作った台本を棒読みしているのは
何ともいただけない。あれなら議員でなくても小中学生でも読めるだろう。
アド・リブで気の利いた議論が出来なければ面白くないし、それが一人前の
政治家の資格というものだと思う。つまらぬ口がすべって謝る議員も多いが
彼らは言語力と当意即妙に欠ける。政治政策は措いてその辺りのウイットは
麻生太郎外相や塩爺こと塩川正十郎などは一流だが安倍晋三はイマヒトツか?
石原慎太郎も節はいいが言葉に少し毒あり、即興演奏は音楽だけじゃない。