隠居の独り言(317)

後の話だが元亀3年(1572)に武田信玄市川亀治郎)が大軍を率いて京都へ
向かう途中に、三河徳川家康は盟友の織田信長の利害のため家来の反対を
押し切って三方が原で敵わぬことを承知で武田の大軍と戦い惨敗を喫した。
普通の小才子なら当時の国内最強と恐れられた信玄に屈して組するはずだが
命を賭してまで織田信長に律儀なところを通したことが後々の生涯を決めた。
豊臣秀吉の死後に、こぞって大名達が家康のところに駆けつけたのは運命を
共有できる信頼感があったからで、その基は三方が原の敗戦の律儀にあった。
NHK大河ドラマ風林火山で武田の盟友だった諏訪頼重小日向文世)は
武田の娘、寧々(桜井幸子)を娶りながら上杉官領家の口車に乗って武田を
裏切るのは、いくら戦国の世とはいえ目先の欲に走り律儀さに欠けていた。
山本勘助内野聖陽)は「戦わずして勝つ」の孫子の兵法を晴信に進言して
諏訪と同族の高遠頼継(上杉祥三)と挟み撃ちにして頼重を威して勝つが
頼重に後の家康ほどの器量があったら武田家の将来に大きく影響しただろう。
ドラマを観て感じるのは、人は目先の事しか見えず過ちを犯すことが多いが
冷静を欠き感情が先走ると後先を見失って自らの人生の行方が見えなくなる。
寧々と由布姫(柴本幸)の女同士の争いは感情的で互いが疑心暗鬼で醜いが
反面に戦国に生きる女性の逞しさも見た思いがする。封建時代の女性の道は
限られたものであっても現代よりも、したたかに生きなければならなかった。