隠居の独り言(333)

少子化の影響で大学全入時代がやってきた。学校を選ばなければ全員入学出来る。
厳しい受験戦争を経験した人から見れば夢のような時代と思うが実態は甘くない。
今の小学高学年の生徒達は殆どが塾通いをしていて、その費用の負担も荷が重く
GW、夏休み、冬休みなどは普段とは別途料金で、ますます厳しくのし掛かる。
子供たちも休日返上で特訓につぐ特訓で勉強のいい機会と捉えて勤しんでいるが
少子化とは裏腹にむしろ受験地獄が激化しているとはなんて皮肉な事なのだろう。
子供を塾へ通わせられる事の不可が教育の格差と二極化分化に繋がっているが
それらの原因は公立学校の教育がしっかりしていれば塾なんて要らないはずだ。
公立学校の学習だけで国立大学が入れないのは学校同士の一貫した現場の調整が
取れていないからで教育の重要性を説きながら文科省は何をしているのだろうか。
このほどの調査で世界の高校生で将来偉くなりたいと思っている日本の高校生は
8%だが米中韓では20%を超えていたという。これは由々しき問題で気概の無い
日本の将来はどうなっていくのだろう。戦後の行き過ぎた平等教育等の弊害だ。
話は違うが、このほど起きた高校野球の特待制度の問題も野球熱心な私立の高校に
入るための学資金みたいなもので日本高野連は「野球部員であることを理由にした
スポーツ特待制度」としているが、では何故に特待制扱いの選手を排除するのか?
一般生徒までが犠牲になるのもおかしな話でそこのところを説明してもらいたい。
学校はあくまで勉強をするところであって野球部員にだけ特待制度を設けるのなら
野球専門の高校にすればいい。特待制度は勉学でも音楽でもスポーツでも際立った
生徒を優遇してさらに成長させようとする制度だから、その制度を高野連と学校が
悪用したとしか考えられない。競争の原理は素晴らしいがその時代に沿った制度に
しなければならないのに高野連の強圧的な態度と悪平等は一般生徒達が可哀想だ。
これが長年の習慣だったとは今更のように驚く。受験戦争といい、特待制度といい
教育基本法のなかで、しっかりと議論をして考えてもらいたいものだ。