隠居の独り言(340)

ここのところ親戚、近所、仕事関係など葬儀が続いて、あまりいい気持ちは
しないが家々によって宗派はまちまちで、お坊さんの読経もそれぞれに違い
亡くなった方は、これで供養されているのかな、と罰当りな事を思ってしまう。
自分は無信心で宗教はこだわらないほうだが俗に「いわしの頭も信心から」と
言う言葉があって節分の日にヒイラギの木の枝に鰯の頭を焼いてくっつけた、
それで家に憑いた悪霊を追い払う役目をしたそうだが、それも信心の一つだ。
臭いで丁重に悪い奴に対してオイトマをいただく作戦は田んぼに立っている
案山子(かがし)もその一つで昔は枯れ枝などを焼いて臭いをかがし害鳥や
害虫を追い払い後にヘノヘノモヘジの人形を立てた事から、この名がついた。
ニオイのいい時は「匂い」と書き悪い時は「臭い」と書くが寺の線香の煙は
いい匂いで浅草寺等の境内では焚いた煙を祈願を込めて頭や身体につけると
病や気持ちも治るとかで大勢の参拝客が幸運を撫でている。信心もいろいろで
巣鴨の「とげぬき地蔵」ではお地蔵さまに水を掛けて洗うとその部分の病気が
良くなるという伝説があって、たとえば腰痛なら腰の部分を洗い胃痛なら胃の
あたりを洗うと治るらしい。今年の正月に巣鴨地蔵に初詣したが水掛けには
大勢の人が行列で、病気で悩む?元気な年寄りパワーには付いていけない。
ご本尊?を撫でる信心もあるが我が町が氏子になっている向島の牛島神社は
狛犬ならぬ狛牛?がいて身体の悪い同じところを撫でると病気が治るとかで
牛はテカテカに光っている。考えてみれば「いわしの頭」も「牛の胴体」も
人の気持ちの弱さからきたもので信心は宗教とは違うものらしい。