隠居の独り言(355)

国会が荒れている。国会が荒れているという事は国が荒れている事と同じだ。
国民投票法公務員制度改革、教育改革法、社会保険庁解体、年金問題等々と
政府の提出する法案に民主党は全て反対の構図は、昔の社会党が何でも反対の
あの頃の風景となんら変わらない。法案決議を言おうとした議長に野党の女性
議員が口封じに壇上に駆け上がる。あれを実力行使で女性議員達を阻止したら
女性蔑視とかセクハラで野党は訴えるだろう。国会議員として実に情けない。
しかも反対の理由がよく分からない。国民投票法でもし改憲が反対だったら
憲法は変える必要は無い、との一票を投じればいいので、社会保険庁解体は
あれだけ出鱈目な事をした役人の責任を取らせ解体をして第三者機関を作る。
公務員制度改革天下りの根本的な改革、つまりはキャリア・ノンキャリア
差別を無くす事、教育改革法は教師の免許更新の義務化など、おおまかだが
これら大筋の法案のどこに反対の必要があるのだろうか。その中には細かい
一言一句の文言に反対の理由があるかもしれないが、ともかく出発しなくては
腐敗した構図は直らない。野党は審議不足と言うけれども、これまでの国会の
慣例の審議日程では法案成立までに最低三年ぐらいの年数が過ぎてしまう。
年金制度のオソマツは今までの政治家の怠慢のツケがどっと吹き出た感じで
責任のなすりあいはみっともない。役人は年金が消えたのではないと言うが
グリーンピアの3600億円、社保庁の高級官僚の退職金、職員の優遇給与など
「消えた」と言わずして何という。国民の不信はいまや怒涛天を衝いている。
国益という立場に立って国を愛することが最低限の議員の心構えではないか。
問題が起きたらすぐに処置する。多少の意見の食い違いがあっても大道に付く。
こまごまと言葉の上げ下ろしに終始して肝心の国政がないがしろになっている。
何でも言える事と何でも出来る事の違いを国会議員の「先生」はご存知なのか?
国を憂い真剣に活躍した幕末の志士たちの心構えは現在では夢物語なのだろう。