隠居の独り言(356)

父が亡くなって22年の歳月が流れた。父が徴兵のときは甲種合格で姫路師団の
騎兵連隊に入ったので詰襟が黄色で、それをとても誇りにしていた。アルバムに
若かりし頃の乗馬姿の格好いいのが残っているが、悠々と腰にサーベルを付けて
挙手している姿は父ながら天晴れだ。小学生の頃だったか営舎に見学に行った時
父の乗馬姿を見て兵隊に憧れた。当時の父は軍曹の位だったが軍隊に入り将校に
なるには幼年学校→士官学校→陸海軍学校のコースがエリートで卒業したときは
下士官(准尉)だった。小学生に憧れと勉学心をいやがうえにも高ぶらせたのは、
ここが原点であったに違いない。当時の写真はモノトーンなので色合いは無いが
カーキ色の軍服、黄色い帽子のリボンと詰め襟、サーベルの銀色、黒い長靴など
今の写真技術なら男前も上がっただろうに・・・当時の戦争の形態からいっても
騎兵は古い戦闘の遺物で、現地では本部から戦闘地域に物資を運ぶ輜重兵を守る
役目と馬を駆けて連絡係の仕事に徹していた。幸か不幸か、父は戦地で負傷して
除隊したが戦後も後遺症と栄養不足の脚気と肺病に苦しんだ。父と暮らしたのは
年数は自分が上京した15歳までの半分も無いが厳しさと優しさを教えてくれた
父には感謝の言葉も無い。頑固な雷親父だったが躾も勉強も人一倍教えてくれた。
父の晩年には何度か東京に招いて親孝行モドキをしたのは今に思えば良かった。
東京見物、東北旅行、つくば万博、ディズニーランド、伊豆箱根、日光鬼怒川等々、
父と旅の思い出は尽きることがないが、孝行できた幸せはなに事に替えられない。
週末は「父の日」だが、父親としての男の資格は家族を養うために、何事も厭わず
安心感を与え、子供たちに自らの意思を継がせる事がなによりの役目と思う。
それ以外の何ものでもないはずだ。プレゼントなんて要らない!