隠居の独り言(365)

山梨県から長野県へ抜ける佐久街道の国道141号線は450年の歳月を超えて
戦国乱世の古戦場や悲話があちこちで偲ばれる雰囲気がいまだに残っている。
今では八ヶ岳高原や安曇野清里など、軽井沢に次ぐリゾート地として多くの
観光客で賑わっているが、この佐久地方一帯は山々に囲まれた狭い甲斐地方と
違って当時も広い平野には秋ともなると水田が黄金波打つ稲穂に埋まっていた。
対する甲斐は国土の8割が山岳地帯で風水害や凶作に弱い痩せた土地だった。
武田晴信市川亀治郎)が「ここが甲斐の領土だったら」と食指を咥えるのも
当然で、甲斐は国主の晴信ですら白いメシを腹いっぱい食べられるのは正月か
祝い事に限られていた。父の信虎を追放して11年後に佐久地方にある志賀城の
笠原清繁(ダンカン)に和議の申し入れをしたが断わられたために殲滅作戦を
開始する。笠原の後ろには村上義清(永島敏行)が控え、その背後の越後では
長尾景虎Gackt:ガクト)が頭角を表わし決戦を待っている、戦国の縮図でも
あった。晴信は恭順の意を表した者には真田幸隆佐々木蔵之介)のように
譜代の家臣同様に手厚くもてなすが抗戦する相手には容赦は一切しなかった。
戦国で生き残るためには熾烈な戦いを凌ぎ自らも鬼になるのが必須なのだろう。
志賀落城と虜囚無残は乱世の時代を語り継がれるものでも特筆される悲話だが
武田軍は関東管領上杉の将兵の首級を槍の穂先に突き刺して城兵に見世物にし
落城後に兵は殺され女子供は数珠つなぎで甲斐へ連れて行かれ競売に付された。
美貌の誉れ高い笠原夫人(真木ようこ)も20貫で小山田信有(田辺誠一)が
買い取り寵愛したという。戦国時代の通例とはいえ、あまりの晴信の非道な
仕打ちに山本勘助内野聖陽)は家臣の板垣信方千葉真一)達と共に主人を
諌められない家来の無力さを痛感するが、戦国大名武田晴信の光と影を見た
今回のNHK大河ドラマ風林火山」の苦い勝利だった。