隠居の独り言(368)

シャンソンは音楽の宝石のようで、聴けばその「うたごころ」に感動する。
「人がその手の中に二十歳という年や、約束された未来という富を持つとき
恋が我々の上に傾けているとき、そしてその白夜を与えてくれるとき・・」
シャルル・アズナヴールの「イザベル」を聞いて涙が出てくるのは、彼の
激しく繊細でもだえるように歌い方もさることながら、帰り来ぬ青春時代の
取り返しのつかない悔恨が胸をよぎるからだろう。アズナヴールもこの曲を
作った時は中年になってからだし森田公一とトップギャラン「青春時代」も
「後からほのぼの、思うもの」で考えれば、取り返しがつかないから青春で
悔恨がとめどなく繰り返されるのが成人の他愛もない感傷なのかもしれない。
人生にも四季がある。幼年期、青春期、壮年期、老年期だが、他の動物達と
違うのは繁殖期が終わってからの生きる期間が長い事だろう。年齢に対する
男と女の思いも少しのズレがあるようで、女性に年齢を尋ねると失礼という
観念は、女はいつまでも年齢より若く見せたいのが一つの望みなのだろう。
髪の毛を染める、エステに通う、美しい化粧をする、小物や宝石で身を飾る、
それはとてもいいことで素敵な雰囲気は世間を明るくしてくれるので嬉しい。
反対に男は若く見られると、まだ甘く評価されていると、いい感じがしない。
男は内容、女は容姿というが生活に対する心の基本的な部分が違うと思うが
その基本的な部分は男の社会人の資格は家族を養っていかなくてはならない
責任感が女とは違った悲壮感が働いているのだと思う。青春時代に男は女に
愛を打ち明ける。それは自動的であって、女の愛される他動的とは相反する。
青春時代に悩んだ男の決定的なものは好きな女に100%の思いを伝えられず
悶々とした日は「青春」という一見無駄そうな時間もそれが肥やしとなって
歳を重ねていくものだが悔恨の壁を乗り越えるのも年月が必要だ。