隠居の独り言(376)

標準語の有難味は日本中何処へ行っても会話に困ることはないし、話す相手との
コミュニケーションは共有出来る。TVやラジオの媒介の役割も大きなものだ。
私は子供のころの昭和初期に戦争で大阪から東北の白河へ疎開をしたが、最初は
言葉が殆ど通じなかった。当時は日本全体が、まだ方言が主体で標準語は学校の
国語の時間で教わっていても一般の人々には生活に充分に溶け込んでいなかった。
昭和の初期の頃でもそういう状態だったから遠い昔の日本はどうだったのだろう。
太古の時代は縄文人弥生人では人種も違うので通じるわけがなく地方の言葉は
相当に異なっていただろう。平安の時代に検非違使の部下達が民政のため国々に
赴いたので政令文とともに共通の上方言葉が全国に広がっていったと想像される。
標準語は明治の初期に江戸周辺の言葉と武士が使っていた言葉を主軸に作られた。
江戸時代での参勤交代で地方の武士達が江戸に集まり互いのやりとりは標準語に
近いものが無いと話が通じないが京の公家の文化の室町言葉が使われたようだ。
NHK大河ドラマ風林火山の主役の山本勘助内野聖陽)が舞台に登場するのは
彼が40歳を過ぎてからだが若い頃には諸国に旅をして地方の方言や室町言葉を
勉強して流暢に話せただろうと想像されるが、それが武田晴信市川亀治郎)に
軍師として重用され役割を果たせたのだろう。当時では他国との折衝や交渉事は
方言言葉の壁から必ず通訳のような話の通じる家来を同行させたに違いない。
晴信の正妻の三条夫人(池脇千鶴)も京都の公卿の娘で室町文化を武田家の中に
取り入れたのも将来を見据えての戦略であった。天下を狙うために武略と教養が
必要なのは言うまでもないが、織田信長明智光秀を、豊臣秀吉千利休を重用
したのも礼法を定めるうえでも権威を高めるうえでも不可欠な人事であった。
ドラマの筋は武田軍が村上義清(永島敏行)に上田原で大敗したあとで立て直す
戦術を山本勘助が策を練るが、義清軍とともに守護の小笠原長時今井朋彦)や
高遠頼継(上杉祥三)の連合軍を塩尻峠に打ち破り、上田原の雪辱を遂げる。