隠居の独り言(408)

一般に戦国時代というのは応仁の乱からといわれているけれど信濃地方では
百年も前に小笠原勢と村上勢の国衆で大塔合戦(1400)という戦いがあった。
応仁の乱終結した15世紀末には畿内から北陸東海、関東にかけて数多くの
一揆が起こり守護大名一揆勢との争いが相次いだが、こうしたなかで駿河
伊勢新九郎(後の北條早雲)は相模の大名、大森氏を攻めて小田原城を落とし
さらに鎌倉以来の名族三浦氏を滅ぼして相模、伊豆を武力で制圧し戦国時代の
先駆けとなった。鎌倉、室町時代を通じて続いていた中央集権から地方へと
権力が散って、下位の者が上位の者をしのいでのし上がる「下克上」の言葉は
この時に出来たが、早雲の子の氏綱、孫の氏康(松井誠)と三代に亘り北條の
積極的な攻勢は関東一円に展開する。当時の関東地方には古河公方の足利氏や
関東管領上杉憲政市川左團次)等の室町時代からの名族が盤据していたが
北條氏康は知略を持って両家ともに撃破をするが上杉憲政は越後に落ち延びて
長尾景虎Gackt:ガクト)に救援を求めたために北條×長尾の抗争と発展する。
景虎はのちに憲政から上杉の名跡を譲り受けて上杉謙信と名乗るようになるが
NHK大河ドラマ風林火山」では山本勘助内野聖陽)が武田、今川、北條の
三国同盟のため武田晴信市川亀治郎)に娘を北條に嫁がせるように進言する。
互いに政略結婚を重ねる事によって同盟関係を結び背後に憂いなくして越後に
立ち向かう戦略は功を奏して愈々、川中島の合戦のプロローグの始まりだが
そのような中で武田の行く末を案じながら晴信の母の大井夫人(風吹ジュン)は
この世を去っていく。