隠居の独り言(463)

巷では「年末ジャンボ」や「初夢」とかの宝くじの売り出しで一般庶民は億万長者の
夢を追って財布を叩いている。当たるも八卦、当たらぬも八卦だが、この手の博打は
歴史が深く江戸時代には「富くじ」として公に行なわれていたし、大昔から神社では
オミクジがあって「大吉」から「大凶」まであるが、そもそも売り上げが目的なので
「凶」は滅多に無く殆どが「吉」の字が入っている。そうと知りながら買う人の心の
弱みをくすぐる商法とも云えるがあまり神様をつつくと罰が当たりそうなので止める。
自分が上京した昭和20年代ころの宝くじの一等賞金は百万円でキャッチフレーズは
「僅か100円でウマクイケバ100万円、マズクイッテモ10万円の夢のチャンス」で
「100万円の皮算用、家30万、米10俵6万円、洋服2着、着物3枚、自転車、靴、
タンス、ミシン、温泉旅行、各々2万円、それでも50万円は残って貯金する」とある。
当時の世相や物の価値観は宝くじの宣伝文句を見て時代の変遷を懐かしく思うけれど
自分はくじを買った事は一度も無い。それは籤を買った人への還元率は50%足らずで
胴元に入るテラ銭があまりにも高く、競輪、競馬の手数料の約25%の倍はしている。
もっとも最近は賭け事に対する考えも変化があるらしく各地の競輪、競馬、競艇等は
赤字経営で閉鎖も多くサッカー籤も燃えずに消えていった。パチンコも例外ではない。
時代劇に出てくるヤクザの賭場のショバ代だって一割そこそこのものだったらしい。
若い頃に友人と徹夜麻雀をして一番勝った人より雀荘に払った金額が大きかった事が
悪夢のように思い出されるが賭け事で財を成した人は無く、夢を見るのはいいけれど
夢の跡はハズレの紙くずが宙に舞っている。宝くじも所詮は賭け事に過ぎない。