隠居の独り言(474)

昨年に沖縄西表島に観光旅行をしたが三味を聴きながら牛車に揺られた
思い出は時が止まったかのように今も情景が目に浮かぶ。のんびりした
水牛の歩みも、17世紀の江戸時代に薩摩藩によって統治されていた頃は
砂糖を作るためにキビを搾る石臼の周りを一日中、朝から晩まで水牛は
尻を叩かれ働いていた。水牛には一日に二三回の交代があったが人間は
老若男女を問わず働きづめの重労働だった。そのうえ収穫された砂糖は
全て薩摩の代官が年貢として取り上げていった。今に伝わる沖縄民謡には
♪エー、かしゅてしゃんてん、誰が為なりゅ、大和衣装ぎりゃが為となる・
(これほどまでに難儀して働いたとて、みんな薩摩の為ではないか・・)
砂糖を隠して役人に見つかれば、手枷、足枷で、海岸で処刑されたという。
薩摩に占領される前の平和だった南海の島々の悲劇は聞くだに哀れに思うが
植民地のような沖縄の人々の悲哀が三味の唄にも込められている気がする。
当時の日本には甘味のある嗜好物は黒砂糖しか無かったが、独占したのは
薩摩藩で、藩として財政を立て直すために沖縄の砂糖生産に随分と神経を
使い、年貢として現地から徴収した砂糖を上方や江戸で売りさばいていた。
NHK大河ドラマ篤姫」は当時の大名家にありがちな、お家騒動の最中で
薩摩藩では藩主・島津斉興長門裕之)の側室だった、お由羅(涼風真世)が
息子の忠教(山口祐一郎)を跡継ぎにと、嫡男・斉彬(高橋英樹)を慕う一派と
激しい対立をひき起こしていた。島津忠剛長塚京三)の於一(宮崎あおい)は
まだ、やんちゃな娘だが、刻々と幕府の政治に全国の目覚めた志士達が大きく
動き始めた時局であった。