隠居の独り言(477)

宗教は最初に生まれた場所の環境に左右されると昨日は書いたが、日本の場合、
温帯に位置し豊かな美しい自然と巡り来る四季の移り変わりは、人間も含めた
生きとし生きるもの全てが、生まれ死に循環しながら生命は永遠に続くものと
信じられ、その中から生まれたものが神道だった。なかでも優れた森の木々や
神秘的な滝や川、美しい姿の山などが信仰の対象とされ、人でも秀でた偉人等、
自然体そのものが神様であり、敬う気持ちの信心(信仰と違う)でもあった。
神社には神聖な森があり御神体は自然が作り出す「霊」であるのが神道の基で
「日本の神」はまさに自然そのものだと思う。そこへくると一神教は森の中は
悪魔の棲むところとされ、かつてキリスト教徒がヨーロッパやアメリカ大陸に
進出した時に、大陸全体の壮大な森林地帯は彼らによって次々と切り倒されて
牧草地となり羊や牛の餌場となった。西洋の童話やハリー・ポッターの世界も
不気味なのは自然な森であり、日本の童話の森とは価値観が違うのは宗教的な
意味合いが根本から同じでない。キリスト文明は世の中があくまで神が創造し
祝福されたものでないと、例え自然が作り上げたものも「悪」になってしまう。
日本は6世紀半ばに大陸から来た仏教を取り入れたが仏教も自然の中で輪廻の
精神があり、生まれる喜びや死んでいく別離の悲しみを「悟り」とする観念が
受け入れられたのだろう。一神教多神教の良し悪しは別にしても、お互いに
相容れぬカタクなさは妥協がありえない。西洋と仲良く付き合うのは心の中に
相違があるのを承知で寛容する気持ちがないと上手く出来ないと思う。