隠居の独り言(478)

宗教の話が続くが、自分は根っからの無信心、無宗教者で話をする資格は無い。
学問の神様と謂われる菅原道真を祀る天神さまに孫の受験の合格祈願をしたが
菅原道真は9世紀の平安時代に33歳にして文章博士に任じられて宇多天皇
重用され右大臣にまで昇った秀才だが、左大臣藤原時平と争い九州の大宰府
流されて没し、後に天変地異が続き道真の祟りではないかと各地に祀られた。
天神様の由来は言ってしまえば、そんなものだが藁をも掴む受験生にとっては
最後は神頼み、天神様が見守ってくださるだろうと参拝をして安堵感を持つが
信心はあくまで信心であってそれ以上のものでもなくそれ以下のものでもない。
我が家の氏神様は本所の牛島神社だが境内に牛の像があって、その牛を拝んで
水を掛けるとその部分の病気が良くなるという伝説がある。だから牛はいつも
善男善女に水洗いを受けるからピカピカに光っている。巣鴨とげぬき地蔵
似たようなもので、どれだけ効果があるのか分からないが効いた噂が広がれば
我も我もと駆けつける。年寄りの原宿はかくして繁盛し何時も人でいっぱいだ。
どこの神様も、家内安全、商売繁盛、無病息災、学業成就、縁結びから何から
何まで全て引き受けてくださる。ヤオヨロズの神は何処にでもいらっしゃって
鰯の頭から、家の老妻もヤマノカミと奉っている。最近では若者が神社と寺の
区別も怪しくて、お寺で二拍手しているのを見かける。といって自分も仏教に
関しては何も分かっていない。仏教を広めた、お釈迦様自身は何の文字も残さず
「お経」といい「経典」というのは後の名僧達が釈迦の考えた心の解釈を書いた
解説書のようなもので、お釈迦様の気持ちとは多少の違いはあるかもしれない。
お経に馴染めないのは書かれた文字が難しく見ても聞いても理解出来ないことで、
名僧達もどうせ書くなら、聖書やコーランのように人に分かり易い普遍の文章で
記して欲しかった。言い訳がましいが、自分の無信心の理由の一つかもしれない。