隠居の独り言(489)

江戸の昔、寺小屋という教育現場があって日本は世界にも稀な教育大国で
幕末から明治に来日した外国人は市井の人達が書物を読み算盤をはじいた
姿を見て驚愕したという。寺小屋に入るのは、だいたいが7歳の子が多く
旧暦二月の初午の日(今年は2/12日)が「事始め」の日として入門した。
当時は医学や環境の面で現代と違って幼児の死亡率が極めて高く7歳まで
育つ子供は江戸時代でも5人に1人の割だったという。七五三の祝い事も
親にとってみればどれほど嬉しかったか想像以上のものだろう。古くから
「七歳までは神の子」の言葉があって幼くして亡くなった子は神の国から
少しだけこの世に顔を出してすぐに戻っていったと考えられた。つまりは
人間の子供は7歳からで一人前として認められ寺小屋などに通い始めた。
寺小屋といっても現在の学校とは大きく違い一対一の師弟関係でその子に
適した教えをして年齢別やクラス別の制度は無く読み書き算盤が基本だが
躾や作法も教えられた。寺小屋の師匠の大半は武士が多かったが授業料は
基本的に無くあくまで謝儀として貧しい家は少額で豊かな親は多額の礼を
したという。武士道の精神は教育は金で買うものでなく神聖な行いとして
見られていた。それが全国に行渡った寺小屋の本質であったかもしれない。
日本が今でも世界の一流国でいられるのも昔からの伝統的な遺伝子であり
大いに誇っていいと思う。ひるがえって現在の教育は「神聖さ」が失われ
教師は自らが労働者として学校を職場としているのは果たして誰のためか、
もう一度、昔を顧みて欲しい。