隠居の独り言(494)

法の問題で最近の報道を見て思う事二つ。一つは27年前に起きたロス疑惑
三浦和義が滞在先のサイパンでロサンゼルス警察により逮捕されたニュースは
日本中に衝撃が走った。なにせ日本では無罪が確定し事件そのものが風化され
忘れかけているのに今更の感がしないでもないが事件の顛末はともかくとして
アメリカでは殺人に時効が無い事をあらためて思い知らされた。考えてみれば
被害者や家族にとっては不条理に命を絶たれたその人の無念さを思えば一生が
事件から消え去る事は無いし、時効を決めた日本の法体系がどちらかといえば
加害者有利に傾いているのではないか。殺人など凶悪犯は自らの命で償うのは
当り前の事で日本の裁判の刑の軽さは「やり得」の感じがしてやりきれない。
罪と罰」の観念は欧米では凶悪犯罪者の追及はあくまで厳しいものをみても
日本の「水に流す」無常観とは違った東西の考え方の違いをあらためて思う。
二つ目は先日の鳩山邦夫法務大臣の発言で「死刑が確定したら自動的に執行が
出来ないか」との言葉にマスコミのバッシングが起こったがそれはおかしい。
そもそも法務大臣は法の番人という裁判所が決めた刑罰を執行するのが仕事で
人によっては死刑執行のサインを拒否する人もいるがそれは大臣の資格が無い。
法を決めるのも守るのも人間社会のルールだがタガが緩んでいる気がしてくる。
死刑廃止論は違う次元の問題だが、それはそれで大いに議論をしてもらいたい。
刑法で「死刑制度」が定まっている以上は粛々と執行するべきで、でないと
判決の意味が無いし死刑囚も毎日が今か今かと待たされるようでは却って酷だ。
人の命に関る事は人間社会の永遠の課題だろうが、法の下で平穏に暮らすには
罪と罰」の関連をしっかりと身に付ける事の大切さを今一度噛みしめたい。