隠居の独り言(514)

今から43年前の今日、昭和40年4月4日に結婚し、現在夫婦共に晩年を迎えている。
よく続いているものだと思うが、あちらも多分そう思っている事だろう。夫婦とは
摩訶不思議な縁で他人同士がすれ違いで一緒になり人生の大半を暮らす事になるが
とくに歳を取ってからの充実度がいかに大切なものか二人が築き上げた長い年月に
凝縮されていると思う。訪れる死が二人を分かつまで穏やかに夫婦が過ごせるのか、
それは互いに相手を思う気持ちを持ち続けないと人生が不毛なものになってしまう。
若いときの夫婦のコミュニケーションは互いに意識しなくも仕事や子育てに夢中で
忙しさに紛れて過ごせたが子供が家を出て行けば否応無く結婚当時の二人に戻って
それからが夫婦の再スタートといえる。これからの長い道程を和やかに過ごすには
互いの会話のコミュニケーションが必要不可欠であり夫婦の会話が途絶えるようでは
関係がうまくいくはずがない。相手の愚痴話でも起伏の無い話でも充分に聞くのが
思いやりだし、あらかじめ話題を考えて会話に変化を持たせるのも円満のルールで
親しき仲にも礼節で、あまり自らの醜い部分を曝け出すのは夫婦といえども禁物だ。
熟年離婚の大半は長年の不仲の惰性と性格不一致だが、夫が「妻の話はつまらない」
妻は「夫が話しを聞いてくれない」これでは互い連れ添う意味が薄くなってしまう。
人生の幸福度は後半の夫婦関係で決まるといって過言ではないと思う。平均寿命が
男女共に80歳と言われて久しいが定年退職や子供の独立などで老夫婦だけの生活に
多くの時間が残されているのも現実だし長く連れ添っていれば相手がどんなことに
幸福感を感じるのか分かっているはずで、心の持ちようで自分も幸福感を味わえる。
会話の大切さは相手の話には充分に耳を傾け、自分を積極的に語るのが、後半生を
穏やかなものに出来る。夫婦も後7年経つと金婚式だが、それは神のみぞ知る。
「夫婦とは長い会話である」哲学者・ニーチェ