隠居の独り言(524)

NHK大河ドラマ篤姫」も愈々篤姫宮崎あおい)が江戸城大奥へ輿入れが
決まって佳境に入ってきたが、そもそも島津斉彬高橋英樹)が慣例を破って
将軍家定(堺雅人)に娘を娶わせる意図は何だったのだろうか。それは遡る事、
250年前の1600年9月の関が原の合戦の勝利で東軍の大将徳川家康は西軍の
大名の殆どを取り潰したが熟慮の末に長州の毛利と薩摩の島津を存続させた。
家康とすれば温情だったかも知れないが両家とも感謝どころか恨みが残った。
そこが政治の難しいところだが、やはり長州薩摩は潰してしまうべきだった。
もっと遡れば平清盛平治の乱に勝ったのに常盤御前の要請で源頼朝義経
兄弟の命を助けた事が平家の滅亡に繋がった。歴史は繰り返される。その後に
家康は悔いが残ったのか遺言で「余の遺骸は西に向けて埋めよ。余は死すとも
西国に備え子孫を守るであろう」と語ったという。要するに毛利氏と島津氏は
潜在敵国であり徳川家にとって目上の瘤だった。人の恨みと復讐心は恐ろしい。
その恨みが薩長のDNAになり300年後に徳川家の死命を制せられる事になる。
薩長が手を結ぶのは先の話だが、斉彬にとってみれば娘を嫁がせる事で徳川の
牙を抜き、自らが幕府の院政の長として島津の天下を夢見ていたに違いない。
ドラマは尚五郎(瑛太)が江戸屋敷に到着するが、その数か月後に斉彬に呼ばれて
予期せぬ重大な命令を受ける。小松清猷(沢村一樹)が赴任先の琉球で病死したため
尚五郎は清猷の妹・お近(ともさかりえ)と結婚し小松の家を継ぐようにとの事だ。
幕末から明治に掛けての欠かせぬ立役者だった将来の小松帯刀がここで生まれる。
寛容明快な人柄で人望の厚かった帯刀がいなければ、後の西郷隆盛小澤征悦)や
大久保利通原田泰造)の活躍はありえなかった。ドラマの終わり頃に大地震
見舞われる。安政の時代には関東東海にかけて三つの巨大地震が日本列島を襲うが
政治の変動と同様に地殻も変動していた曲がり角の日本だった。