隠居の独り言(541)

NHK大河ドラマ篤姫」の物語は篤姫宮崎あおい)に対してウツケのふりを
することをやめた家定(堺雅人)だったが、他の人々の前ではあいかわらず奇行を
繰り返していた。では家定など歴代の将軍の暮らしぶりはどのような様子だったか、
徳川代々の将軍は15人で、それぞれ趣味や健康状態も違い個性の別もあったのは
当然だが、公式行事はだいたい決まっている。生活の場所は将軍の居間兼政務室の
中奥という屋敷で一日の殆どを過ごしていた。政務は御座の間で午前11時頃から
午後2時頃までで老中・若年寄り・時には御三家たちと政策を決める。控えの間で
譜代・外様の有力大名たちが論議して作成した書類を、将軍自らが目を通したり、
また御側御用取次ぎに読ませ、何かあれば「それはどうか」と質し問題が無ければ
「伺いの通りたるべく候」と御下知札を老中・若年寄りに戻して政策が決定した。
政務が一段落すると、その後は自由な時間で好きな趣味などをして過ごしていた。
ドラマで家定が菓子作りやカクレンボをしたのも、この楽しい時間の一つであった。
午後4時になると中奥の湯殿で入浴をするが、風呂は熱い湯を運んで入れたもので
湯から上がると将軍は座ったままで頭から足の先まで奥御番衆1人と御坊主2人に
洗わせ、最後に上がり湯を掛けると白木綿の浴衣を何枚も取り替えて水気をとった。
その後、将軍は「精進日」以外は着流しのまま大奥へ入り御休息の間で夕食をとる。
奥泊まりの相手は御台所と御中臈のケースがあるが、御台所の場合は御休息の間を
一旦下がり、もう一度衣装を着替える事になっていて、その間、将軍は御年寄りや
中年寄り達と歓談をする。大奥のしきたりは細かく決められ将軍さへ曲げられない。
そして9時前には将軍と今夜の御相手が小座敷の奥の「蔦の間」に入って休んだ。
将軍の一日はこんなものだが勅使や季節ごとの大名達の謁見など過労なものだった。
ドラマは慶喜平岳大)擁立の中心的存在だった老中・阿部(草刈正雄)を失って
一橋慶喜派と徳川慶福松田翔太)派の対立だが、篤姫慶喜を跡継ぎにと家定に
願うが、家定は自分が会ってもいない者を推薦するのはおかしいと逆に諭される。
実際に家定がどこまで精神薄弱者であったか想像の域を出ないが、今に振り返れば
「最後の将軍」は慶喜だが、そこに至る過程の人間模様が描き出されドラマは面白い。