隠居の独り言(552)

江戸時代の後期に幕府の下役人で千島のエトロフ島に赴任していた間宮林蔵
地理や算術の才能を持ち同地に来ていた伊能忠敬に測量技術を学び、幕府から
享和3年(1803年)西蝦夷地を測量する事を命じられ樺太が大陸と離れた島で
あるのを発見し国際的にも間宮海峡と名づけられた。当時の樺太に住む人達は
アイヌと日本人の雑居地で幕府が日本の領土として監理していた島であった。
ロシアが樺太の地に足を踏み入れたのは林蔵が海峡を発見してから50年後の
1853年で、話しはそれるがNHKドラマ「篤姫」の、放映されている頃のことで、
日本の幕末のどさくさ紛れにロシアの皇帝ニコライ一世は東シベリア総督に
命じて、日本に無断で樺太へ多数の開拓民を入植させ、その僅か20年後に
ロシアは日本に樺太の帰属をめぐる論争を強引に繰り広げてきた。ロシアは
あくまで狡賢く、日本はあくまで拙く(今もそうだが)長い鎖国の安閑とした
時代を体験した日本にとって近代史的な世界の領土意識がまるで希薄だった。
その隙にロシアは兵士や政治犯を送り込み既成事実を積み上げて領土交渉が
ますます不利になり200年以上の長きに亘って日本領だった樺太を、たった
20年前に入ってきたロシアに樺太・千島交換条約で遂に島を盗られてしまう。
明治3年(1869)のことだが、なんと無原則な譲歩をした日本外交の拙劣さよ!
1905年の日露戦争で多くの日本人の血と莫大な戦費を掛けて樺太の南半分を
取り返したが固有の領土というべき千島列島、とりわけ北方領土は戦後まで
日本以外の国が管理した事は一切無いが、最近のロシアの言い分は一貫して
4島返還は無論、2島返還さえもしないという話にならない強硬さが続く・・
小・中学校の歴史教育も、こういう日露間の近代史をきちんと教えてほしい。
それでも日本は最近まで「政経不可分」の良識を保ってきた。日本の領土を
不法に奪った国とは政治的距離は大きく経済協力も密になりえず、日本から
投資や技術移転も進展させる事が出来ないという考えだが、最近の経済界の
無節操ぶりと何故政府は自制を求めないのか分からない。自動車、電機など
一流企業がロシアに無原則に進出しているのは日本人として情けない限りだ。
強権・強圧国家ロシアに譲歩を続ける日本の弱腰外交には明日の展望は無い。
福田さん!洞爺湖サミットはあなたがホストですよ!見せ場を作って欲しい!
洞爺湖サミットの首脳達がいい季節にいい北海道を楽しみ美酒で乾杯をして
笑顔を振りまいて三々五々に散っていく。何の得も無いお祭りはもう沢山だ。