隠居の独り言(557)

東京地方は盆の最中で新聞の折り込み広告には墓地分譲の宣伝チラシが多い。
墓が無いので買おうかという半面に、無信心・無宗教の自分に墓は必要かと
自身に問うてみる。友が霊園の分譲墓地を買って「死んだら行けるところが
出来たよ」と喜んでいたが素直に受け取れないのは、あんな暗い墓の地下に
極楽浄土があって死後も暮らせるのかと罰当たりな気持ちで疑心暗鬼になる。
そもそも仏教はインドで興り、お釈迦さんが始めたことは言うまでもないが
仏教の終局の目的は煩悩を超えた解脱にあり死ねば空(くう)に帰すという
ひとつの観念で、われわれ一般人には仏教の云う解脱なんて絶対に出来ない。
お釈迦さんが亡くなって火葬にして、その遺骨を舎利として大事にするのは
仏教的な行事だが、それとて釈迦やその弟子達の墓はどこにも存在しないし
墓があったとしても、そこにある遺骨には霊魂が篭っているとは思えない。
したがって本来の仏教と墓とは無関係なのではないか、とも考えてしまう。
約2500年前にインドで興った仏教が中国を経由して日本に入ってくるのは
6世紀頃だが1000年以上の期間を仏教が中国で滞在している途中で大いに
解釈が変わり違ったものに変化していった。当時の中国は隋の時代で仏教は
国家的事業になり日本への到来は仏教と共に仏典、彫刻、絵画、建造物まで
発達した文明と一緒に入ってきた。当時の日本人の大部分は横穴住居に暮し、
高床式住居だって豪族しか住まない程度の未開国に突然のように金メッキの
施された仏像が入ってきたのは驚天動地だったに違いない。仏というよりも
神々しいまでの仏像に心が惹かれて陶酔した仏教伝来だった。しかしそこは
今も昔も変わらない日本人の他国の文明への憧れと貪欲心で優秀な官吏達が
遣隋使として彼の地に渡り中国仏教や文明を学び、帰国後は名前を中国名の
最澄空海と改名し仏教を広めていった。「戒名」はその辺りから始まるが
これは日本だけの習わしで私たち俗人が死んだら僧になったという事にして
今までの呼び慣れた名前を戒名という中国風に改名するのはどういう理由か、
しかも戒名代が半端じゃないのはどういう理由か、和尚に聞いても答えない。
仏教がインド→隋→百済→日本と、年代も変わり国も変わっていくと相当に
醸造し発酵されて、最初に興った純粋なインド仏教とは似ても似付かぬ姿に
変わっていったが、お釈迦さんが現代日本の葬儀屋的仏教をご覧になったら
仰天されるに違いない。つづく・・