隠居の独り言(584)

今年の敬老の日に発表された統計では70歳の古希を過ぎた老人が2000万人を
超えたという。日本の総人口に占める割合は約六分の一だが、それが果たして
目出度いと素直に喜べないのが実情で、年金、医療、所得格差などの諸問題が
山積で、老いれば老いるほど様々な苦労と人生の寂寥感が加速化されていく・・
それはともかく最近は昔の事がよく思い出されるが、とくに子供の頃が蘇える。
あの頃は何でもよく覚えたものだ。寝物語に祖母や父母から聞いた童歌や昔話、
学校で習った修身、国語、算数や歴史の年表、さらには教育勅語大本営発表
相撲番付、漫画本、講談や浪曲の主人公にいたるまで人名、地名、セリフなど
覚えただけでなく、この歳になってなお記憶の片隅に残っているものが多い。
思えばガキ仲間のチャンバラゴッコも講談の主人公で宮本武蔵、荒木又右衛門、
塚原卜伝佐々木小次郎の剣豪たちがヒーローで、新撰組近藤勇丹下左膳
遊侠関係では清水次郎長国定忠治、笹川繁蔵の親分衆から次郎長子分の名前も
スラスラと出てきたものだ。でもそれがどうした?生活には何の関係もないし
現代では子や孫に話しても空々しいものばかりだ。けれど当時の記憶や体験が
今も自分の一部であり身体を支える骨組みの一つになっている。その骨組みが
徐々に崩れはじめていると感じるのは哀しい現実だが、若い頃覚えた固有名詞が
とっさに出てこない事が多々あるし、日々とりまく雑事も予定順番を忘れたり
取り違えたりするのは愈々ボケの始まりか、といって歳のせいでもないらしい。
記憶を担当する脳の中の海馬は一定の容量しかなく何かを覚えると何か忘れる。
つまり老若には関係無く新陳代謝があるのは当たり前とか(某精神科医の話)
しかし老化は身体のさまざまな部分で同時並行的に後戻りが出来ない形で進む・・
でも脳や心臓など重要な器官に関するものは機能低下のスピードが遅いらしい。
報道では100歳を超える日本のお年寄りが36,000人にもなったとの話だが、
ただ生きていればいいというものではない。めでたさの裏には痴呆や介護の
問題があり人の世話にならない程度の人生でありたいと「敬老の日」に願う。
歳を取って、どんな事でも経験するに越したことはない。経験してまた忘れる。
それでいいではないか。元気で長生き出来るのはその辺りが秘訣なのだろう。
こうしてブログを綴るのも老化予防には最適だと思っている。