隠居の独り言(593)

先だって厚生労働者研究班はガン専門病院などで作る施設別の各種ガンの
治療した後の5年経過した生存率を集計してインターネットで発表した。
治癒率もそれぞれだが、統計を見たからってどうとかなるものじゃない。
ガン発病、寿命、これは神の領域であって人の周知をはるかに超えている。
自分も6年前に前立腺ガンの摘出手術を受けたが術後が順調とはいっても
何時再発や転移するか分からないところが厄介な病気だと今も感じている。
日本人の三人に一人がガンで死亡するという、まさに国民病だが考えれば
それだけ長生きをするようになったからで其の後は神様の思し召し次第だ。
ガンは細胞の設計図であるDNAに傷がついてしまった細胞で誰もが罹る
細胞の老化といえる。ただ一つのガン細胞が検査で分かるようになるには
何十年の時が必要で世界一の長寿国家の日本人が罹患率の高いのも当然だ。
日本の衛生環境や医療制度がますます良くなって長生きをすればするほど
ガンという業病が待っている。けれど医学が進んで死因の第一位のガンが
撲滅出来れば日本人の平均寿命がさらに延びて人生100年も夢じゃない。
でもそれが本当に目出度いか、鶴亀が増えるのが幸せなのか、長寿社会を
維持出来るのか、今でも日本人の5人に1人は65歳以上の老人で保険や
年金の暮らしも破綻寸前になっている。本当の意味で長寿が目出度いのは
人数の割に端的に少なく珍しかったからで多くては目出度くない厄介者だ。
人生が短かった江戸以前の老人は隠居なり翁なりとして後進に範を垂れる
知恵者であり賢人でもあった。「横丁のご隠居」は博識で町内の悩み事も
解決してくれたし、翁になれば長寿の目出度い「高砂の松」と象徴された。
現代は文明の流れが早過ぎて老人は若い人についていけないのが現状だ。
江戸時代の俳人芭蕉は36歳で職業としていた俳諧師を辞めて隠居し、
50歳で没するまで孤高の境地に入って自らの道を極める旅を続けていた。
今の自分より25年も若いが、それで「芭蕉翁」とは、何とも恥ずかしい。
「此の道や 行人なしに 秋の暮」  芭蕉