隠居の独り言(600)

2006年1月10日から綴りはじめた「隠居の独り言」も今回で600回になった。
その前は「内憂外患」それより遡ると「小僧一人旅」そして「小僧」シリーズと
かれこれ5年近くブログ日記を書いているが最初はどこまで続くか、どの辺りで
ネタ切れになるのか、緊張と心配の連続だったが、何とか今まで保ってきたのは
ブログの楽しみが分ってきた事と読んでくださる方のお励ましだと感謝している。
日記は続けることが新しい日々の発見で、歳を重ねた自分を再び見出し頭の中を
回復させる何よりの薬だと思っている。仕事でPCが必要になった時は困ったと
思ったが最初はキーを叩くにも苦労が多く、ブログの言葉も意味も知らなかった。
家族や友人の助けもあってブログにたどり着けたのは数年後だが、最近になって
ようやく筆記用具よりキーを使ったほうが文章を書くスピードが早くなってきた。
周知の通りだが、今思っている事を文体に表わすのは書くスピードを伴わないと
文章のリズムと起承転結がきちんとつかない。日々の連続は力だとつくづく思う。
「日記とはペンを手にした瞑想であり孤独な心の友であり慰めであり医者である」
17世紀スイスの詩人アミエルは語ったが、自らへの精神のエネルギーを日記で
表す事が人生を無駄に浪費しない支えの一つと思っている。人生も生きる過程で
竹が伸びていくように“節目”を付けながら歩いている。振り返って子供の頃、
巣立ちの時、仕事の独立、結婚、子育て、諸々の泣き笑いで、今に至っているが
意識してもしなくても知らず知らずの間に長い人生の“節目”を作っている。
このブログを始めたのも古希の“節目”になるが老木だって年輪が増え続ける。
「ロバは旅に出ても馬にならない」の格言のように各々の人生のヒストリーは
神様がお決めになっているのだろう。運という神の領域に入れなくても、少しは
自分を磨きたい、新しくしたい、発見したいとの気持ちは持ち続けたいものだ。
PCという便利な機械、ブログ日記という楽しい遊びかたは古希近くで知ったが、
これからどんな世の中になるのか、手探りでも「遊びの哲学」を勉強しながら
残された人生を楽しみたい。