隠居の独り言(603)

「ふるさとへ廻る六部(巡礼)は気の弱り」は私の好きな古川柳のひとつだが
人生の喜びや悲しみを、いくら経験を積んでも心の拠りどころは生まれ育った
ふるさとであり、父母兄弟であり、全ての人が持つ帰巣本能のようなものだ。
週末に関西方面に旅をする。自分は大阪生まれの姫路育ちなので何日かの旅を
楽しむのは一番に関西を選んでしまう。いわゆるセンチメンタルジャーニーで
関西弁の渦中にいれば心安らぐのも脳幹にびっしりと郷が張り付いているからだ。
ただ自分が持ち続けた郷愁は終生変わらなくても、変貌する景色、町の雰囲気、
出会う人々、それと関西人特有の人情味が年々失われていくのはとても淋しい。
関西には神社仏閣や歴史的建造物が多いが、最近はどこでも拝観料なるものを
払わないと入れない。今は世界遺産の姫路城も子供の頃は自由に入り遊んだし
木に登って虫を捕ったり、内堀で釣りをするのも子供達の楽しみの一つだった。
京都・奈良のお寺も戦後間もなく辺りまでは拝観無料だったはずだが、やがて
「ご芳志」という名目で金銭を対価として暗黙のうちに要求するようになり
今では神社仏閣や城跡のブランドの有名度によって定価がついているようだ。
いくら宗教施設が聖域といっても人間社会の市場原理には例外はない。中には
お賽銭箱の横でオミクジまで売っていて、それも稼ぎの一つだから神社仏閣も
施設を維持するためには財政健全の手段として商売の方法でやらざるをえない。
話しが少しそれた。家族連れの旅行は何かと物入りだが、これも元気あっての
物種で、健康息災、家内安全、学業成就、商売繁盛、願いごとは限りがないが
「下手な鉄砲も数打ちゃ当る」・・関西詣では我が家の巡礼の旅でもある。