隠居の独り言(604)

1860年井伊直弼中村梅雀)が暗殺された後の10年の幕末・明治にかけては
まさに暗殺横行の10年間であって、攘夷と勤皇、開国と佐幕に日本が二分され
騒然としていた時代の人たちはいつ暗殺されてもおかしくない状況下にあった。
それは大名・公卿・志士たちに及び、朝廷でも孝明天皇東儀秀樹)の急死も
岩倉具視片岡鶴太郎)による毒殺説も流れたが死因は未だに解明されていない。
坂本竜馬玉木宏)の場合も土佐と紀州の船の衝突で竜馬が賠償金を取った事を
恨んで紀州新撰組にやらせた説、情報を知りすぎたので薩長共同で抹殺した説、
その他諸々あって真相は暗闇のままだが、佐久間象山姉小路公知横井小楠
清河八郎芹沢鴨、数え上げればきりが無い。大きな影響力を持っていた彼等が
明治まで生き延びていたら時代の日本はまた別の方向に向かっていたことだろう。
その頃、小松帯刀瑛太)は軍資金調達のためにコンパニー(会社)を設立する。
兵庫開港による外国との交易で得る利益を軍事の基盤とする事業だが小松帯刀
実質経済の何たるかを知っていた数少ない志士の一人といえる。中でも加担した
出羽酒田の本間郡兵衛は「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」と
言われるほどの資本家だったが出羽藩が幕府側だったため哀れにも暗殺される。
殺し殺され疑心暗鬼の世は、また新しい国が生まれる陣痛の苦しみのようだった。
ドラマ「篤姫」は天璋院宮崎あおい)はじめ大奥は家茂(松田翔太)のいない
寂しさに包まれていた。跡を継いだ慶喜平岳大)は京にあり、西郷(小澤征悦
大久保(原田泰造)、岩倉具視とともに倒幕派に化した薩長との戦いに備えている。
大政奉還に向けた駆け引きは幕府側と討幕派は虚々実々だが、やがて慶喜は折れて
政権返上を二条城で諸大名に告げ、二世紀半に亘った徳川幕府が遂に崩壊する。