隠居の独り言(617)

大河ドラマ篤姫」も後二回を残すのみになったが、高い視聴率を誇ったのは
強い意志を持った女性が主人公であった事、時代劇であるのに残虐な切りあう
シーンが殆ど無かった事、宮崎あおい始めとして各々役者の演技が優れていた事、
大奥という華やかな舞台の背景が女性の視聴者の心を惹きつけたのも良かった。
幕府の滅亡で大奥も解散の憂き目となるが、世界史的にも世襲を儲けるための
大奥という組織は珍しく、フランスのルイ16世後宮の美女4000人と比較され
指折りのハーレムのようなイメージを持つ人がいるが組織や中身はまるで違う。
人数も江戸260年を通じ多い時でも3000人、少ない時は1000人程度だった。
今風でいえば組織の中枢の正社員に当たる女性は300-400人位で大半の女性は
礼儀作法見習いのため旗本や商家の娘が勤め、いわゆる花嫁学校の目的もあり
しかも多額の奉公料が入るのでこれだけの大人数の組織が持ちこたえられた。
大勢の女達の浪費が幕府の財政を圧迫したという見方もあるが、どうだろうか?
大奥の中核女性はむろん終身奉公で御台所を筆頭に老女(年寄りでない)上臈、
中臈とよばれる、お局が最高職だが、将軍の添い寝は主に選りすぐりの中臈が
勤めて跡継ぎを儲ける役目を果たしていた。その江戸城大奥も愈々幕を閉じる。
幕府は崩壊し江戸城明け渡しと武器引渡しを条件に徳川家の家名の存続だけは
許されることになったが、天璋院はどんな悲しい思いであったか。薩摩から出て
義父・斉彬(高橋英樹)の命で将軍・家定(堺雅人)と夫婦になり、跡継ぎには
恵まれなかったが、戊辰戦争では故郷の薩摩を敵にまわして徳川家存続のために
粉骨砕身した自らの人生に何の報いも無かった悔しさと、大奥の崩壊で去っていく
女たちへの申し訳なさに、天璋院は御台所というトップに立った人しか知りえない
孤独と寂しさに堪えきれず、ひとりで号泣したことだろう。江戸を追われた徳川の
家臣たちは駿河の国に旅立っていくが新たな苦労を人々はまだ予測出来ない。