隠居の独り言(653)

上杉謙信阿部寛)の死は約一世紀といわれる戦国時代の終わりを象徴している。
その後の各地では弱いものが淘汰され中央に覇権した織田信長(吉川晃司)により
安土桃山時代が訪れる節目は何と言っても戦国大名最大の雄、謙信の死であった。
それにしても49歳の最期は早すぎる。歴史家の中には暗殺説を唱える人もいるが
脳出血説が妥当ではないかと思う。謙信は馬上で杯を使い兵の采配を振るうことを
好んだともいわれるほどの酒豪で当時の寿命からいっても斃れてもおかしくない。
北国の人は辛いものが好きでそのうえ体の温まる酒は必需品で、そのため高血圧の
人が多く現代のように血圧降下剤も無かったので寿命も南の人より短かったようだ。
歴史にモシは禁句だが、武神と謳われた謙信があと5―10年生きていたなら日本は
違ったものなって秩序ある良い国になったかもしれず逆に後に天下を治めた秀吉は
61歳没だがあと5年短ければ利休や秀次の非業な死もなく、今も尾を引く無益な
朝鮮半島の侵略も無かった。家康は73歳までの長生きだが徳川家安泰と封建主義の
確立のための彼の晩年の政策はいかにも狭量で国家国民の為にはマイナスであった。
今更ながらTOPに立つ人の信念と寿命がいかに歴史を変えたかが考えさせられる。
NHK大河ドラマ天地人」は上杉軍が関東出陣を前に突然倒れた謙信の場面だが
兼続(妻夫木聡)をはじめ家臣たちの必死の看病にも関わらず容態は遂に回復せず、
息を引き取る。実子のいない謙信が跡継ぎを決めなかったことが禍いして上杉家は
家督を巡って景勝(北村一輝)派と景虎玉山鉄二)派に分かれて大混乱に陥るが
それを見かねた妙椿尼(萬田久子)と仙桃院高島礼子)の二人は計らって家臣を
鎮めるために謙信が「家督は景勝に」と遺言を残した、と嘘をつく。動揺する
兼続だったが「泥は私がかぶる」という仙桃院の決意の前に、これを受け入れる。