隠居の独り言(662)

弱肉強食、栄枯盛衰が世の常であった戦国時代に大名として生き残るためには
優秀な部下、とりわけ参謀を務める補佐役の優れた人物を抱えることが必須で
あの時代に成功した殆どの武将は補佐役の器量で決まったといって過言でない。
16世紀の100年間は日本全国で何百家の戦国大名が勃興し各々が切磋琢磨して
興亡を繰り返し弱いものは順次淘汰されていく。その過程は知恵の有るものや
能力の有るもの、そして運のあるものしか生き残れない厳しい時代であった。
豊臣秀吉には竹中半兵衛徳川家康には本田正信、上杉謙信阿部寛)には
宇佐美定満(真木仁)、伊達政宗には片倉小十郎武田信玄には山本勘助等が
著名な補佐役だが、石田三成も俸禄4万石だった時期に、島左近という智将を
半分の2万石で召し抱えて世間を驚かせたのも有名な逸話になっている。
かたや上杉景勝北村一輝)は直江兼続妻夫木聡)の才能を全面に信頼して
仕えさせている。見方を変えれば景勝は生来が無骨で平凡な人柄は抜きんでた
器でなかったので、兼続を執政官として採用しなければ戦国時代の荒波の中で
生き残れる確率は殆ど無かっただろう。NHK大河ドラマ天地人」は謙信の
跡目相続の争いは、最初は景勝が春日山城本丸を取ったものの長引く戦で城の
兵糧が尽きかけていた。兼続は兵糧を運び込むため道を探るが、城の四方は
景虎軍に押さえられている。そこへ景虎のもとに実兄の北条氏政より援軍を
知らせる書状が届くが当の景虎は、この機を利用して北条は越後に攻め込む
つもりと真の狙いを見抜いている。一方、甲斐の武田勝頼市川笑也)も
上杉の内乱に付け込んで虎視眈々と越後を狙う。事態は油断も隙も許されぬ
三つ巴の状態だが、ここを脱しないと生きる道は無い。