隠居の独り言(675)

人生の大半は帽子屋を営んでいる。世間は100年に1度の不況というけれど
帽子屋の不況の出発点は数十年も前の事で、その大きな原因の一つに学生が
帽子を被らなくなったのが業界を直撃した。学生数は小学校から大学生まで
およそ3000万人だが、その数だけ商品が消えて携わる業界の影響は甚大だ。
昭和の始め頃は学生の殆どが制服制帽で街を歩いていて、徽章を見ただけで、
どこの学校か見分けがついたし東大の学帽、早稲田の角帽、慶応の丸帽など
帽子の形だけで学生として認知された。それが戦後の教育の偏りと欧米化で
学生の服装の自由化が始まった。理由はそれぞれの個性尊重のためだという。
その後の学生の格好は実にだらしないと思う。Tシャツ等を着てヨレヨレの
ズボンを履き、中には破れたジーンズから膝小僧を覗かせているのもいるし
髪の毛を染めているのもいれば、体にピアスを付けたのやヘソ丸出しもいる。
なにが自由化なのか!業界の恨みも含めて、これで良かったのか問いたい。
個性とは聞こえがいいが醜態そのものではないか。俗に馬子にも衣装という。
若さがあるから、学生だからと服装を気にしない、という風潮も感心しない。
身なりがよければいいというものでないが身なりは大人のマナーではないか。
人は見かけによらぬ、というが見かけあっての中身だし中身あっての内容だ。
若い身嗜みは眩いほどに決まるのは羨ましい限りだがそれが若さゆえの特権だ。
このほど音楽配信オリコンの調査の「帽子が似合う芸能人」ベストスリーは
男は?中居正広?木村拓哉?オダギリジョーで、女は?浜崎あゆみ?上戸彩
?若槻千夏となったらしい。それぞれの好みは、芸能人だから似合うのでなく
帽子・服装はきちんと身につければ誰もが馴染んでその人のものになっている。
老いも若きも洒落っ気は生きる証しで粋な気分の美意識は何事に替えられない。
なかでも学生時代という最も輝いた青春期は後で振り返れば実に短いものだが
学生服を着て学び舎に通ったダイヤモンドのような時期を大切にするためにも
制服・制帽を復活してもらいたい。服装に気遣う事は人生を気遣うに等しい。