隠居の独り言(682)

後期高齢者という有難い名称をいただいて好き勝手が言える歳になって思うのは
若い内は生きるのに必死で横見する余裕は無く、物事は真直しか見えなかったが
ここまでくると、あのとき何故あのような行をしたのか、何故この道を選んだか、
思い出すごとに恥ずかしさと後悔の連続だった若い頃が懐かしく今も胸をよぎる。
人の定めといえばそれまでだが、事の善悪はあくまで善であり、裏表はあくまで
表を見る事のみが、若さの純な心であり、真が実は無粋であることに気付かない。
時を経ち諸々の体験を積み重なる毎に、悪の中にも面白みがあり、裏の世界にも
味のある事に気が付く。良さそうな紳士が詐欺師なのも、悪相なのに善人なのも、
美しく赤いバラに棘の多いのも、うまみのある表裏一体の人生模様といえよう。
善と悪、聖と俗、実と虚、本音と建て前、粋と野暮、76年の中には飢餓と飽食、
大きな挫折と小さな成功、悲しみ、喜びも人一倍で、今は自分に万歳を唱えたい。
それで尚煩悩が残るのは江戸川柳の「思うこと叶わねばこそ浮世なり」の格言が
今も胸のうちをよぎり思うままにならなかったのが人生なのだと悟りの心境でも
未だに不完全燃焼の心根は発展途中の人間なのだろう。人生は一場の芝居という。
役を演じるのは当人だが芝居とは夢の事で、夢が醒めなければ夢=芝居じゃない。
夢の中は面白く幕引きまで果てしなく続く。歩く人生は全て芝居であり、演出が
面白ければ楽しいが、善悪・表裏を決め付けてしまうと人生がつまらなくなる。
Que bonitos ojos tienes debajo de esas dos cejas眉の下に君はなんて美しい瞳を
持っているのだろう・・ラテンの名曲ラ・マラゲーニヤは、歯の浮くような詞が
並んでいるが、恋の歌を歌う気分は、いい歳をして芝居の快感に酔っている。