隠居の独り言(698)

戦国大名が上洛するということは特別な意味を持っていた。12世紀初頭に
源頼朝が鎌倉に武家政権を開いた時、全国の豪族や武士達は所領の安堵の
証明してもらうため鎌倉に行き将軍に拝謁するのが定まりになっていたが、
その後の室町幕府も慣例を引き継ぎ謁見して足利に臣下の礼を取っていた。
後に信長(吉川晃司)も足利義昭を追放し畿内を制圧すると他の大名達に
上洛することを下命して服従の意思を示させ、上洛命令を拒否した者達を
反逆者として征伐した。本能寺の変後の実質的な天下人の後継者となった
秀吉(笹野高史)も引き続いて各地の大名たちに上洛=服従という図式を
活用して徐々に勢力範囲を全国に広めていく。それは景勝(北村一輝)の
上杉家も例外ではない。信長の後継者といってもまだ戦国期の匂いが残る
当時として最も強力で手ごわい徳川家康松方弘樹)の上洛が秀吉にとって
最大の目的だが北陸に位置する景勝が家康の露払いの役目をしたといえる。
出自の卑しい身分の秀吉にとって上杉家という名門の大名を戦うことなく
接待攻勢だけで配下に出来ればこれほど安い買い物は無かったに違いない。
NHK大河ドラマ天地人」の物語は4000人の上杉軍の上洛の途中には
秀吉の重臣前田利家宇津井健)の丁重な出迎えを受け景勝は利家から
様々な助言を授かる。京都に入った上杉軍の宿所には千利休神山繁)の
娘・お涼(木村佳乃)が世話役で控えていた。お涼は献上品である太刀を
物足りないと断じ、秀吉を喜ばせるためには太刀袋を金襴にするよう兼続
妻夫木聡)に伝え大坂城での対面に備える。関白秀吉との対面が済むと
休む間もなく、北政所富司純子)や重臣たちへの挨拶回りが待っていた。
福島正則石原良純)との酒宴は後の関が原の前哨戦のようなやりとりが
とても面白い。