隠居の独り言(722)

夏休み最中は人も車もまばらで東京の空気も新鮮で深呼吸したい気分になる。
世間の夏休みは会社や学校が一斉にお休みタイムに入るが、季節商品を扱う
業界にとって秋冬物の最盛期とあれば世間一般に合わせることは不可能だ。
仕事に追いまくられてスケジュールの混んだ日々が過ぎ、ある日気がつくと
顔の辺りをひんやりと秋風が通り過ぎていく・零細企業の悲哀かも知れない。
上京して以来そんな暮らしを何十年間続けて、これで人生はよかったのかと
自問自答しても未だ結論は出ないが、仕事を持ち、会社を持ち、家族を養い、
浮世のしがらみで自らを縛った時から夏休みは無縁になったと言っていい。
子供の頃の夏の記憶は朝から夕方まで、蝉や蜻蛉を追い、川で鮒や泥鰌を掬い、
悪友とウリやスイカを盗み食いのため遠征もしたし、昼飯で家に帰るのを除き
草いきれの野原や近くの川で時間を忘れた。勉強好きだった筈が無かったのは
記憶の中に遊び呆けた楽しいことしか思い当たらない。あれが人生の華だった。
あの自然に満ちた、あの豊穣な光り輝いた、夏はどこへ行ってしまったのか。
そこへくると現代の子供たちは実に不幸だと思う。今は兎追いしかの山も無く
小鮒釣りしあの川も無い。学校から帰れば塾通いで祝祭日も無く、夏休みには
塾の特訓が待っている。世間に漂う不景気は子供心にも不安を意識させ将来に
安定した職業を求め、その街道に乗せるべく学校の選択はとても難しい。
衆院選夏の陣の各党のマニフェスト子供手当てが幾らとか、奨学金が幾らとか、
お金のことばかりで、肝心要の教育の理念が無いのは政治の貧困を知る思いだ。
夏休みを考える意味で、遠い昔、いい夏を体験した自分は幸せだと思う。
ブログもしばらく夏休みをいただく・・・・