隠居の独り言(724)

蒲生氏郷という知勇兼備の才能を持った武将がいた。織田信長(吉川晃司)が
将来性を見込んで自身の娘を嫁がせるほど将来を嘱望されていたが秀吉の代で
氏郷を会津若松城にしたのは彼への警戒心と奥羽全域を監督する意味で重責を
一任していた。その氏郷が京都伏見の邸で40歳という若さで急死してしまう。
もし氏郷があと数年生きていたなら関が原は無かっただろうし、日本の歴史も
大きく変わっていた。蒲生が凋落したのち奥羽のカナメたる会津へ白羽の矢が
当ったのは景勝(北村一輝)だが、越後から会津への国替えを命じた秀吉は
今までの石高約80万石から大幅にアップして景勝に120万石を与え、その内
30万石は兼続(妻夫木聡)に分け与えよと言葉を付け加えた。景勝・兼続が
驚いたのも無理はない。近臣の三成(小栗旬)でさえ20万石なのだから・・
会津120万石とは今の福島県佐渡を含む上越の一部、そして山形の米沢で
奥羽に至るあらゆる街道を押さえ、まさに北日本の重要な戦略基点であった。
上杉の国替え、そして僅か一年足らずの秀吉(笹野高史)の死に至る急変貌は
景勝・兼続主従にとって新しい領内整備の改革に身動きできなかったが、後に
天下分け目の関が原の戦いのときには家康(松方弘樹)の格好の狙い事にされ、
最大の要因にされている。増石国替えは上杉にとって小躍りしたのも束の間で
皮肉にもそれが裏目に出たのは歴史の綾としかいいようがない。NHKドラマ
天地人では、兼続は越後へ戻り家臣たちに国替えを告げる。それを拒んだ泉沢
(東幹久)を訪ね先々を見据えた頼み事をする。一方の仙桃院高島礼子)は
謙信公(阿部寛)の遺骸と越後に残ると言う。お船常盤貴子)は長男を連れ
越後へ戻るが子供達に二度と戻る事のない越後の雪の暖かさを覚えておくよう
話すシーンには胸が打たれる。