隠居の独り言(743)

僅か2年前に秀吉から越後80万石から会津120万石に移されたばかりなのに
関が原で家康(松方弘樹)に反抗したため米沢30万石の減封処分を受ける。
秀吉の好意は狭い家から広い家への引越しだったが、今回は広い一軒家から
狭いワンルームマンションへの引越しに等しく、家臣には厳しい環境だった。
当時の米沢は人口3000人足らずの寂れた地方だったが、上杉の侍6000人が
移住してきたために身分の低い武士達は急造の掘っ立て小屋で糊口を凌いだ。
景勝(北村一輝)が掲げた「義」の精神も兼続(妻夫木聡)が掲げた「愛」の
心情も戦いに勝ってこそ名分は成り立つが負ければ反対に結果責任を問われる。
上杉家の危機を招いたのは盟友・三成(小栗旬)との一蓮托生路線を選択した
兼続の責任は大きく家臣達からも厳しく問われたことだろう。組織の上に立つ
人間は出処進退を間違えれば長年に築き上げてきた実績も信用も全てを失う。
兼続には責任を取って身を引くことも考えたが景勝の励ましもあって上杉家の
再建に着手する。人員整理は一切行なわず、その卓越した企画と指導によって
上杉家再生の基礎を作っている。自らの責任は直江家を捨てることとし長男の
竹松(加藤清史郎)には家督を放棄させ、娘・お松(逢沢りな)と徳川の家臣・
本多正信松山政路)の次男・政重と結婚させたのも苦渋の決断だった。
直江家はやがて断絶するが自らの敗戦の責任の重さは兼続にしか知りえない。