隠居の独り言(783)

バンクーバー・オリンピックで現地入りした国母選手の服装が話題になっている。
日本選手の定められた公式服のネクタイを緩めてシャツは裾から出し、ずり下げて
だぶつかせたズボン、サングラスに鼻ピアス・・こんな格好の報道を見た人々から、
スキー連盟に批判が寄せられた。しかもその後の記者会見で国母選手は反省の意を
示したが「反省してま〜す」と、語尾を伸ばした言い方で謝罪を口にする態度には
日本代表として実に情けない。最近の若者の文化といえば、それまでだが、それを
容認する有識者やコメンテーターの多いのには、ますます心が暗鬱となってしまう。
国母選手が私服ならどんな格好でも問わないが、公式服とは所謂日本の制服であり
五輪開催中はキマリを守らなくてはならない。学校の制服や、警察官、自衛隊等々
冠婚葬祭にも服装は決まっている。つまり時と場所をわきまえてしかるべき服装を
整えるのが常識というものだろう。日本では昔から服装秩序がしっかりとしていた。
有職故実という規定があって公家や武士の服装の事だが、忠臣蔵だってその発端は
吉良が浅野に対する意地悪の中で決定的だったのは服装問題で勅使を迎える場合は
大紋烏帽子とされているのに麻上下と浅野に伝えて恥をかかせた事が刃傷になる。
欧米だって服装規定はしっかりしている。パーティの案内状にドレスコードという
服装の事が付記されフォーマルとかインフォーマルとか書かれてあると聞き及ぶ。
世間での服装規定やそれにまつわるマナーなど、そういう慣習になっているのを
何故と聞くのは野暮というもの!それが世間のしきたりだ。言葉の乱れもひどい。
最近の「なんとかでェ」「それからァ」「そう思ってェ」と、語尾伸ばしを聞くと
とても耳障りなものだが、若い年層のみならず、歳を取った人も、学校の先生も
アナウンサーを職業の人も、日本中がそうなってきたから、もう直しようがない。
国母和宏の行為は×だが、投げかけたものは長年に培われた美しい日本の文化の
ありかたを考え直す、いい機会になればと思う。