隠居の独り言(786)

エコカーのシンボル的な存在、トヨタ・プリウスがリコールになって、そのうえ
アメリカ裁判所で公聴会が始まったというトップニュースはトヨタの車が好きで
長く乗り継いできた自分にとって少し気にかかる。世界最高の創造力と技術力と
安全性の信用を得てデザインも優れたトヨタだけに自分事のように残念に思う。
車の履歴は昭和37年に商いの独り立ちした時はホンダ二輪車カブの中古を買い
数年後に軽自動車のダイハツのミゼットを経て普通車に乗り換え、パブリカから
カローラ、コロナ、クレスタ、マークⅡなど、トヨタの車で車種を大きくしたが
狭い道路に面した得意先や外注先が多く、当時流行った「いつかはクラウン」の
フレーズの夢も、ボディを傷つけてからは5ナンバーサイズで満足している。
車は若い頃から好きだった。18歳から免許取得が出来る誕生日に練習場も行かず
鮫洲の試験場で免許を取れたのも今なら話せるが会社の車を無断で無免許運転
繰り返した結果かも知れない。ちなみに会社の車はイギリスのオースチンだった。
クラッチは長い棒状だったし、方向指示器はアポロといって矢印を手動で出した。
当時の車はエンストが多く棒を差し込んで力いっぱい回して作動させた事もある。
今のように車が一家に一台という時代でなく、その点は車好きの若者には恵まれた。
街で走っている車を見るとタクシーは日野ルノーが多数で、丸っこいオースチン
角張ったルノーが対照的だった。道路を走るのは殆ど外車で今の車よりデザインに
個性と特徴があり若者の目を楽しませてくれた。スチュードベーカーはシャープで
格好よかったし、マーキュリーは前方から見るとロケットを三本束ねたようだった。
キャデラックは派手だったが、逆にリンカーンは地味だった。ナッシュ、プリムス、
フォード、ビューイック等々のアメリカ車の日本における全盛時代だったといえる。
今では日米逆転して日本車のクオリティが勝りトヨタへのクレームはアメリカ車
いらだちの意味も含まれているだろう。あれから半世紀以上が過ぎ、今も車好きは
変わらないが、紅葉マークを付けてからは長距離ドライブは控えるようにしている。